シェルター ממ"ד

いタクシーに四人で乗り込み,三時間かけて到着したイスラエル北部の街アッコは雲一つない晴天だった.アッコは地中海に面した古くから栄える港町である.疎らに立つヤシの木は海からの清々しい風で揺れ,その先には砂で汚れた地面と石造りの低い建物が見える.イスラム教徒の多く住む土地らしく,いくつかのモスクも見て取れる.

 

f:id:dappyooon:20191112130625j:plain

アッコの街並み.奥にうっすら見えるのがハイファ.

f:id:dappyooon:20191112162718j:plain

モスクの多さに驚く.

 

俺が職場をサボってアッコに遊びに来たのは,俺に給与を支払っている政府の機関からの招待があったからだ.サボりといってもこの日は偶然俺の研究所も休みとなっていた.なんでもガザ地区からのロケット弾が研究所付近に飛んでくる可能性があるかららしい.このタイプのロケット弾は局地的な被害しか及ぼさないので,そもそも射程圏外のイスラエル北部で観光するのは理にかなっている.案の定アッコに着いてみれば心配面を晒してロケット弾がどうこう言っているのは外国人の俺たちだけであった.

 

服した街をなぜか地中に埋めてしまう中東人の性質により,アッコという街は地下に向かって数層でできている.現在最下層に埋まる十字軍の街はほぼ発掘され一般公開されている.壁には文字の書けない巡礼者たちが刻んだ記号が残され,俺は歴史の重みを感じた.一つ上層にはマムルーク朝と呼ばれるイスラム王朝が埋まっているが,こちらは発掘中だ.この発掘の責任者が今回俺たちのガイドだったため,こちらも見学できてツイていた.

 

地上に出て旧市街のこみ入った細い道を抜けると,潟湖と地中海が夕日に照らされて広がっていた.反対側の海まで歩くとそちらは内海で港になっている.付近の城壁からはアッコの街が一望でき,こちらも景色が素晴らしい.ここでは地元の悪ガキ中学生二人もタバコを吸いながら景色を眺めていた.悪ガキ達はなぜか俺に話しかけてきて,最終的に飴をくれた.俺は意外に良いやつだったなと通報を思いとどまり,帰路についたのだった.

 

f:id:dappyooon:20191112153625j:plain

地中海に面したラグーンが夕日に照らされ美しかった.

f:id:dappyooon:20191112162530j:plain

港から海を一望すると視界全体が南国だった.

 

っかく夕方まで北部の町に疎開したというのに,帰宅後の深夜にロケット弾は結局発射された.サイレンが街じゅうに鳴り響き,住民の避難を呼びかける.ガザの方角を向くとイスラエル側の迎撃ミサイルが打ちあがるのが見えた.俺はあまりにイスラエルらしい出来事に興奮して,ロケット弾が迎撃されるまでの動画を撮った.満足してシェルターに行くとアパートの住人がすでに集まっている.扉を開けてくれたインド人が上半身裸だったので,俺は「シャワーを浴びていたのかい?大変だったね.」と話を始めようとするが,「うーん,まあそんな感じ.」と煮え切らない.しばらく考えた俺は,こいつは裸族だと確信して早々に部屋に戻ったのだった.

 

いただきます בתאבון

雨が一日中降り続いた休み明けのイスラエルは,俺の雨季への期待をあざ笑うようにいつも通りの快晴だった.最初は物珍しかった土埃で白っぽい空と太陽に照らされて眩しく光っているアスファルトも,2週間も住んでみれば暑さの象徴にしか思えない.たまの雨を待ち望むようになった俺は,また一つイスラエル人に近づいたような感じがする.

 

俺が新米研究者として赴任してきたここに四季はない.この国の一年は,乾季と雨季にくっきり分かれている.4月から11月の乾季は,その名の通り一滴も雨が降らない.雨季は名前こそ日本の梅雨に対応するものの,それでも一週間に1日か2日程度しか雨が降らないと同僚が話していた.

 

f:id:dappyooon:20191110033038j:plain

街外れから隣町の建物が遠くに見える.

  

雨の翌日,俺は研究所で行われたインドのディワーリーというお祭りに参加した.このお祭りは「光の祭典」とも呼ばれ,蝋燭を並べた飾りが闇夜に美しい.俺は飾りの横で花火を楽しんだのち,インド料理を食べながら古典舞踊を鑑賞した.この古典舞踊バーラタナッティアムは型に基づいた踊りだが,手足に加えて視線まで用いた豊かな感情表現に俺は感銘を受けた.

 

f:id:dappyooon:20191110053223j:plain

仕出しの北インド料理.そこまで辛くはなく,なかなかおいしかった.

 

食事が終わったのちはボリウッドDJが始まる.テーブルを片づけたホールではミラーボールが回りはじめ,気づけば俺もインド人たちと一緒に踊り狂っていた.息が上がり休んでいると,女子スタッフの学生が俺を家に送っていくという.何度も送ると言われ「これは一緒に帰れば何かあるな」とピンと来た俺は,言われる通り帰ることにした.女子学生は一滴も飲んでいない俺に「お酒飲みすぎたの?」と聞く――よく聞けば,俺のダンスで上気した顔が酒のせいと思い心配していただけだったらしい.そんなわけで俺はパーティーの途中に不本意にも帰宅し,冷たいシャワーで頭を冷やしたのだった.

 

週,研究所のイスラエル人学生たちと近くのバーでビールを飲みに出かけた.学生たちは最初こそ研究の話をしていたものの,お酒が回るにつれてバカ話を始める.俺は学生ではないにもかかわらず端からバカな話しかしていない.俺は日本のお笑いについて解説しようとしたが,漫才におけるツッコミの必要性が全く理解されなかった.あまりにもわからない学生たちが「じゃあ漫才を実演してみてよ」と言う.思い出し思い出し英訳して実演するも,ウケるわけもない.挽回しようと思った俺はディワーリでの失敗談を話して笑いを取り,社会人の面目をなんとか保ったのであった.

 

日本から来ました אני מיפן

ン・グリオン国際空港を出てタクシーに乗ると,乾季のイスラエルが広がっていた.淡い青色の空に,土で汚れたアスファルトと疎らに生えている南国特有の木々の色が,冷房の効いたタクシーの中でも気怠い熱気を感じさせる.遠くに見える街の建物は,中東らしく白や淡い肌色をしている.

 

f:id:dappyooon:20191025032543j:plain

南国感と砂漠感を1:1で混ぜたような景色だと思った.

 

俺がイスラエルに来たのは,単に他に行くところがなかったからだ.博士号を取ったばかりの新米研究者の俺は,日本に職のアテもなく,世界中どこでも仕事に応募した.ほとんどの場所からの返事は芳しくなかったが,そのうち俺を雇う気になった数少ない研究所のうちの一つがここイスラエルにあるというわけだ.よりによって社会人1年目からアジアの反対側まで来てしまうことに不安はあるが,イスラエルは学問先進国であり新天地としては申し分ない.とにかく,俺は3年間ここで暮らしていくほかないのだ.

 

アパートの前でタクシーを降り,150シェケル払う.1シェケルはおよそ30円なので,4500円だ.空港前の白タクを無視してまともなタクシーに乗ったから当然だが,ほぼ相場通りでツイている.アパートの管理人は優しそうなイスラエル人女性で,俺が拙いヘブライ語で「このアパート大きくて綺麗ですね,すごい!」というと,いたく感動していた.ただ,後々よく聞くとなぜか俺が管理人女性の美貌を絶賛したことになっていた.「大きい」の部分をどう解釈したのか俺は聞いてみたかったが,黙っていることにした.

 

着した日から1週間程度は生活を軌道に乗せるのに使った.部屋にはカーテンがなく,窓の外についている電動シャッターで遮光するようだ.当然全て閉めると採光はできないので,俺はいまだに設計思想に疑問を抱いている.浴室はトイレや洗面台と同じになっていて,南国らしく浴槽はなかった.到着前日からユダヤ教の祭典「仮庵祭」が始まり,祝日の週になっているため事務手続きなどはなかなか進まなかった.とはいえ,イスラエルの祝日は日本の二倍程度あるし,複数日続くものもあるので半休だけ取る人も多いように思えた.

 

俺はこの期間中相当街を歩き回った.「仮庵祭」では建物の中で食事をすることは許されていないらしく,街のあちこちに敬虔なユダヤ教徒たちのためのテントが出ていた.レストランやカフェでは,多くのスタッフが英語で話しかけてくれるのでありがたい.ただ,イスラエル人がよく自慢気にいうほどには全員英語が喋れるわけではない.そもそも俺は裏路地の屋台のご飯が食べたいタイプなので,ヘブライ語は必修科目のようだ.

 

f:id:dappyooon:20191025032552j:plain

仮庵祭のためのテント.

 

この町のイスラエル人は,今のところ総じて明るく元気で人懐っこい.アイスキャンデーをくわえた俺に工事のおじさんが「美味そうやな!」と声をかけてくる.対面すると不必要に声が大きく感じることもあるが,文化の違いかもしれないので腹を立てても仕方ない.それに俺の出身地である大阪も,20年前はそんなオッサンが多かったような気がする.とにかくイスラエルは俺にとっては住みやすい国のようだ.到着直後の不安がさっぱり消えた今の気分を象徴するように,今朝は雲一つない空が窓から広がっていた.

 

f:id:dappyooon:20191025044957j:plain

今日は乾燥していて空はめっちゃ青かった.