日本から来ました אני מיפן

ン・グリオン国際空港を出てタクシーに乗ると,乾季のイスラエルが広がっていた.淡い青色の空に,土で汚れたアスファルトと疎らに生えている南国特有の木々の色が,冷房の効いたタクシーの中でも気怠い熱気を感じさせる.遠くに見える街の建物は,中東らしく白や淡い肌色をしている.

 

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南国感と砂漠感を1:1で混ぜたような景色だと思った.

 

俺がイスラエルに来たのは,単に他に行くところがなかったからだ.博士号を取ったばかりの新米研究者の俺は,日本に職のアテもなく,世界中どこでも仕事に応募した.ほとんどの場所からの返事は芳しくなかったが,そのうち俺を雇う気になった数少ない研究所のうちの一つがここイスラエルにあるというわけだ.よりによって社会人1年目からアジアの反対側まで来てしまうことに不安はあるが,イスラエルは学問先進国であり新天地としては申し分ない.とにかく,俺は3年間ここで暮らしていくほかないのだ.

 

アパートの前でタクシーを降り,150シェケル払う.1シェケルはおよそ30円なので,4500円だ.空港前の白タクを無視してまともなタクシーに乗ったから当然だが,ほぼ相場通りでツイている.アパートの管理人は優しそうなイスラエル人女性で,俺が拙いヘブライ語で「このアパート大きくて綺麗ですね,すごい!」というと,いたく感動していた.ただ,後々よく聞くとなぜか俺が管理人女性の美貌を絶賛したことになっていた.「大きい」の部分をどう解釈したのか俺は聞いてみたかったが,黙っていることにした.

 

着した日から1週間程度は生活を軌道に乗せるのに使った.部屋にはカーテンがなく,窓の外についている電動シャッターで遮光するようだ.当然全て閉めると採光はできないので,俺はいまだに設計思想に疑問を抱いている.浴室はトイレや洗面台と同じになっていて,南国らしく浴槽はなかった.到着前日からユダヤ教の祭典「仮庵祭」が始まり,祝日の週になっているため事務手続きなどはなかなか進まなかった.とはいえ,イスラエルの祝日は日本の二倍程度あるし,複数日続くものもあるので半休だけ取る人も多いように思えた.

 

俺はこの期間中相当街を歩き回った.「仮庵祭」では建物の中で食事をすることは許されていないらしく,街のあちこちに敬虔なユダヤ教徒たちのためのテントが出ていた.レストランやカフェでは,多くのスタッフが英語で話しかけてくれるのでありがたい.ただ,イスラエル人がよく自慢気にいうほどには全員英語が喋れるわけではない.そもそも俺は裏路地の屋台のご飯が食べたいタイプなので,ヘブライ語は必修科目のようだ.

 

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仮庵祭のためのテント.

 

この町のイスラエル人は,今のところ総じて明るく元気で人懐っこい.アイスキャンデーをくわえた俺に工事のおじさんが「美味そうやな!」と声をかけてくる.対面すると不必要に声が大きく感じることもあるが,文化の違いかもしれないので腹を立てても仕方ない.それに俺の出身地である大阪も,20年前はそんなオッサンが多かったような気がする.とにかくイスラエルは俺にとっては住みやすい国のようだ.到着直後の不安がさっぱり消えた今の気分を象徴するように,今朝は雲一つない空が窓から広がっていた.

 

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今日は乾燥していて空はめっちゃ青かった.